【本のはなし】ブログも はてなも まとめも ソーシャルも もう結構です。〜『言語表現法講義』 に触れて〜
ブログも はてなも まとめも ソーシャルも もう結構です。
ことば時代の到来を、ことばの鐘が打ち鳴らす。
パブロフの犬みたく、セキズイハンシャのことばを吐いて自己満足する。
そんなおもしろくないことよりも、すっくと自分の足で立って、空っぽな自分のことばで誰かに何かを伝えたい。
*
ものをつくる人間でありたい。そうずっと考えてきた。
それは何かを伝えて、何かを感じさせるということだ。
ひとは、それを絵や音楽や写真や「サービス」とか「提起する価値」だとかいうやつで、達成している。
僕はそれを「ひと と ことば」で達成したい。おぼろげながら、そう思う。
そう信じながら、演劇に携わったり、じぶんの仕事というものを考えてきた。
とどのつまり、影響させるということ。
異化、異文化に触れてもらう、他者の視点を提供、考えを改めさせる、ふと足をとめさせる、言い方はなんとでもある。
そんな手仕事を、しているつもりになっていた。
でも、もう数年、していなかった。頭の隅のどこかに追いやっていたことにハッとして、どきどきした。
このまま、死んじゃうんじゃないか、なんて。
ああ、なんて自分って空っぽなんだろう、そう思いませんでしたか?僕はよくそう思う。それが書く最初の感慨です。 (出典『言語表現法講義』加藤典洋 p.103)
書くことは考えることで、そして頭と手、五分五分でする仕事なんだ、と本書の中で加藤先生は言っている。 一昔前よりも、言葉を読むことは格段に増えた。
ネットの時代だ。学術的なお堅い文章も、日々のよしなしごとを徒然と書き連ねるSNSも、人の揚げ足ばかり取るブログも、ひとりごとを織り上げる2ちゃんまとめも、言葉の濁流は容赦なく僕を飲み込む。
それらは、頭だけで書かれたものと、手で書かれたもの、その両極端ばっかりな気がする。
頭で考えたことを、手触りを頼りに練り上げていく、そういった感触はない。
飲み込まれるばかりで、抗っていなかったということに気がついた。もうあきあきしていたのに、漫然とことばをぼとぼと吐き出していた。
書くことって、そんなんじゃない。
ことばって、そんなものじゃない。
目の前に、ことばの壁がわぁっ!と、現れた。
いや、元々あったはずなんだけど、情報なんていう靄に囲まれて見えていなかった。
一雨降られたあとのさわやかさと、広がる景色の美しさと、一抹の緊張感。
これがことばか、と背筋がしゃんと音を立てて伸びる思いをさせられる。
書くこと、考えること、そして自分との向かい合い方について、加藤先生なりのワン オブ ゼムが綴られた本です。
ことばを書きたい人にはみな、是非読んでもらいたいです。
- 作者: 加藤典洋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/10/08
- メディア: 単行本
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